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〜会長の時間7月〜
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昨日より二十四節気では大暑(たいしょ)です。七十二候では桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)です。
大暑とは文字どおり、一年で一番暑さが厳しく感じられる時季です。「土用」というのもこの期間にあります。「土用」と言うのは立夏・立秋・立冬・立春の直前約18日間ずつのことです。今年は立秋が8月7日ですので、7月19日が土用の入りでした。
七十二候の桐始結花というのは、盛夏を迎えるこの頃、卵形の実を結ぶということです。古来、桐は鳳凰の止まる神聖な木とされてきました。昔は女の子が生まれると桐を植え、結婚する際にはその桐で箪笥を作り嫁入り道具にするという風習もありました。桐は成長が早いためこのようなことが可能なのです。花が咲くのは初夏の頃です。でも私は残念ながらまだ桐の花をゆっくり見たことがありません。紋章としても有名で足利尊氏や豊臣秀吉も天皇から賜っていますし、日本国政府の紋章も五七の桐です。五三の桐は一般でも広く使われています。
さて、今日は納涼例会で、家族の方もたくさん参加されていますので、ちょっと親子の話をします。
古代エジプトの落書きにもあるという「最近の若者は…」という言葉。でも、昔は親の権限は強く、仕事場でも師匠や親方は絶対でした。では、なぜ現代では親の地位は低下し、長老はただの介護対象者になってしまったのでしょうか。
私が考える理由は「科学技術の進歩の速さ」です。近代以降、科学技術の進歩は加速度的に早くなってきました。技術の革命的進歩が世代交代の期間より短くなってしまったのが悲劇の始まりです。親から子供へ、師匠から弟子への技術や知識の移転より、技術革新の期間が早くなってしまったため、伝承よりも外から学習することが多くなってしまったのです。そのため、親や師匠、上司より、外部の先生や講習や本の知識や技術の方が価値が上がってしまいました。しかも、戦後、先生の価値が思想的に歪められたために、先生の価値も下がりました。このような状況では、子供は身近な大人に尊敬の念をいだくはずがありません。親や師匠・上司の権威が崩壊しつつあるのです。
それではどうすればいいのでしょうか。親や上司も若者に負けないように最新知識を身に着けることも必要ですが、限度があります。経験と分析力、深い見識や人間的魅力が今まで以上に重要になってくる時代になってきたのではないでしょうか。
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2016年 7月29日 第1930回 |
福井隆一郎ガバナー様・毛利二ガバナー補佐様・嶋田豪洋幹事様ようこそいらっしゃいました。後程、ガバナーアドレスよろしくお願いいたします。
米本会員組織委員長、7月24日の会員増強・維持委員会ご苦労様でした。成果を是非当クラブの増強に生かしてください。
二十四節気では先週に引き続き大暑(たいしょ)です。七十二候では7月27日(水)〜明後日7月31日(日)までは「土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)」です。日本の夏は蒸し暑い、湿気の多い夏です。日本人は風鈴などの音にも涼しさを求めますが、海外では音で涼しさを感じるということはないようです。本格的な暑さを迎えて、明日は土用の丑ということで鰻で夏を乗り切る体力をつける人も多いかもしれません。
さて、「契りきな かたみに袖をしぼりつつ すゑの松山 波こさじとは」という和歌をご存知でしょうか。これは清少納言の父である清原元輔(きよはらのもとすけ)が作った和歌で百人一首にあります。意味は「約束しましたよね、涙で濡れた袖を絞りながら。すゑ(末)の松山を波が決して越さないように、心変わりは絶対にしないことを」という内容です。「末の松山」は歌枕の一種で、宮城県多賀城市にある小さな丘とされています。海岸から3キロも内陸にあります。普通、波がやってくる事などあり得ない丘がなぜわざわざ和歌に読み込まれたのでしょうか。
この和歌が詠まれたのは950年代始めと考えられています。その80年前貞観(じょうがん)11年(869年)に東日本大震災とよく似た「貞観地震」がありました。マグニチュード8.4の大きな地震で、巨大な津波もありました。海岸から5キロも離れた多賀城市の城下町まで浸水したとの記録があります。この時も「末の松山」は被害がなかったのです。今回の東日本大震災でも「末の松山」は津波被害を免れています。
このように語り継がれる和歌にも天災についての教えが含まれています。災害に備えてハード面の整備だけでなく、ソフト面の充実も重要なことだと思います。
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